私達が光空間の研究開発を始めた当時の雰囲気を今はやりのNHKのプロジェクトX風に紹介してみました。随分、昔のことなので、多少の記憶違いはあるかもしれません。 ただ、我々開発メンバーにとって、三浦玄明氏という偉大な上司がいなかったら今の我々はなかったでしょう。
■ ここから少し趣きを変えて
研究所での開発の初期には、OA機器のワイヤレス化のモデルとして光空間伝送による装置を開発しました。その後、光空間伝送を長距離化することにテーマが移行していき、光空間通信の長距離化に絞って開発した機器が現在のCANOBEAMの原形になっています。このころから光ビームという言葉を仲間内では使うようになりました。
光は電波と異なり、非常に広い周波数帯域が使用可能です。この広帯域の特性を利用して、電波では伝送できない高速信号を光空間伝送により屋外で長距離伝送する。伝送距離は、数キロメートル。開発の狙いはこうでした。
ちょうどマルチメディアが騒がれ始めた時代で、高速大容量のデータ伝送に最適であることと、光空間での伝送実績も皆無であったことから、その様な機器が出来れば社会に結構インパクトがあるぞ。開発者全員がそんなことを思いながら仕事をしていました。ある意味、技術開発のきっかけは、時代の少しのニーズとちょっとした開発者の思い込みから始まった様な気がします。
開発を重ねる内に、1989年のジュネーブで開催されたITU-COM'89にCanon HD Digital
Networkのコンセプトのもと、キヤノン製HDコーデックで圧縮されたHD信号の伝送用の機材として出展しました。蛇足ながら、当時の資料をあらためて読んでみると、この時の当社のコンセプトは非常によく練られたものでした。
やがて研究所(この頃には中央研究所から別の研究所に移っていた)から技術と開発のメンバー全員が一緒に放送機器事業部に異動しました。放送機器事業部に移ったことにより、我々の仕事は、今までの研究開発から製品開発に移行しました。放送機器事業部から製品として出した光空間伝送装置を総称してCANOBEAMと呼びます。まず放送局向けの光空間伝送装置の開発が始まり、それからネットワーク向けの光空間伝送装置を開発し、現在に繋がるDT-50、DT-30シリーズになっていきます。