第三回 「土木」と「人」と「光」

1. 雪深い現場

実は、筆者は、20代の大学を出てしばらくしたとき、オーディオメーカーの技術者を経て、当時は「システムハウス」と呼ばれた、いまで言えば「IoT」をする企業に転職した。ハードウエア、ソフトウエア、低周波、高周波などの弱電の技術を、その当時のハードウエア、ソフトウエアともに経験したのだが、その当時の日本のみならず世界ではデジタル技術そのもの、そしてコンピュータの技術そのものがまだ出てきたばかりで、かつ周知もされていなかったので、私達のやる仕事は「こんなことができるのか!」と、どこでも驚きの眼差しで見られることが多かった。コンピュータの学会も業界もまだ多くの事例がなく、そのために、ソフトウエアの仕事の成果を上げるために、ハードウエアの知識は必須だったので、ハードウエア、ソフトウエアのみならず、その知識をベースにして、あらゆる分野の業界とも付き合っていかねばならず、短期間でその業界で使う言葉なども、ニュアンスまでわかる必要があった。当時は、とにかく机上だけではない勉強の毎日だったので、それが楽しくてしょうがなかった、という時を過ごしていた。気がつけば、今で言うSA、SE、システムアーキテクト、ハードウエアエンジニア、ソフトウエアエンジニア、営業のすべての仕事をやっていたことになる。

その中の一つに、国土交通省の仕事として、建設中のダムの現場でコンピュータのネットワークシステムを構築する仕事があった。いまから30年くらい前のことで、当時はネットワークの知識も機器も一般化しておらず、光ファイバーも出たばかりで、高いところで全ての現場が見通せる事務所には、某社のコンピュータを使った工業用のシーケンサーが入り、そこに現場のデータを光ファイバーで送った。工事現場の各々の事務所の「ホストコンピュータ」には、当時出たばかりのNECのPC-9801を使った。そこに、現場の数十台ある工作機械を、今で言うLANでつなげて、データをリアルタイムに取得する必要があったのだが、その現場ではあまりに工作機械のノイズが多かったため、メタル線でのLANは組める状況ではなく、仕方なく、当時メーター単価が数万円もした光ファイバーを使うことになった。当時はインターネットも、影も形も無く、TCP/IPの規格も世間には知られていなかった。マイクロプロセッサを搭載したハードウエアを作り、光ファイバーのインターフェイスを付け、自分たちで考えたLANボードを開発した。自分でデータシートから回路を考え、プリント基板を設計し、ハードウエアを作った。そこに通信のためのファームウエア(通信部分のソフトウエア)のためのプロトコル(通信の制御手順)も自分たちで考え、プログラムを組んで搭載した。さらに、それを使う制御ソフトウエアも開発した。もちろん、現場事務所での異常検出などのために、PCの画面に状況を映し出すソフトウエアを作り、当然だが、緊急停止などに対応した制御ソフトウエアも作った。

真冬の正月1日、人間の背丈の数倍はあろうかという豪雪の中、業者の方のスノータイヤを履いた四輪駆動車に乗せてもらい、東京から山形の現場に行ってコンピュターを動かす、ということもした。あまりに雪が深く、公衆電話ボックスが道端の雪面のはるか下にあった。それが気になって覚えているのは、その当時はまだ携帯電話がなかったからだ。真っ白な雪の夜の峠を登るクルマの前を、真っ白なうさぎがヘッドライトに照らされながら横切った。クルマから降りて仕事先の宿舎のスキーロッジまでの10mほどを「かんじき」を履いて移動した。今となっては懐かしい思い出だ。そこで、当時から今まで頭から離れない、ショッキングな出来事があった。

2. 石を拾う仕事

私達の仕事は、それがハードウエアであれ、ソフトウエアであれ、普通は「1人で考えてやる仕事」であって、それぞれの技術者がそれぞれのパートを1人ですすめるわけだから、今日という日の成果はそのまま自分の仕事の全てで、それがなければ自分の周りの世界が動かなかった。それに自信と誇りを持って仕事をしていた、というとかっこいいが、要するに若かったから、それが世界というものだ、と思って、鼻を高くしていたのだ。自分たちは、その頂点にいる、と思っていた。しかし、ある日、高台にある事務所から下を見ると、これからダムのための「山」を積み上げる岩盤のところに多くの人が散り散りになっていて、何やら作業をしている。そこで私は現場の方に聞いた。

「あれ、なにやってるんですか?」

すると、帰ってきた答えはこうだ。

「石を拾ってます」

この時のショックは今も忘れられない。要するに世の中には「自分ひとりが一日頑張っても、一ミリも進まない仕事」というものがあり、それに「給料」が出るのだ。それにショックを受けた。その人達は、これから、ダムの山を作る前に、その底にある「異物」を取り除く作業をしていた。これも当然だが、ダムを作る上で、重要な仕事であることに変わりはない。

3. 土木は人

そこで学んだのは、「土木」という仕事は、多くの人が必要で、その人達が同じ方向を向いて、同じ目的のために動かなければならない、ということだった。現場から言えば「人が全て」なのだ。今でもそれは変わらない。「人」の管理(と言っても一言では言えるものではないが)はもちろんのこと、生身の人間のやることだから、高温多湿の季節には、健康管理も必須だ。「現場」で1人でも熱中症で倒れたら、工事が短期間でも止まる。その「原因」を特定し、そこからの「対策」を示さないと、工事が先に進められない。それは大きな金銭的な損失も産む。しかし、現場の人に体温計をいつも持っていろ、とは言えないし、そもそもそういうことは、難しいことだろう。作業の邪魔にならないように、いかに熱中症対策をするか?というのは、一つの例ではあるが大きな課題の1つである。別の言い方をすれば「人」にフォーカスした技術はできるだけ「非接触」で、現場の邪魔をしないものである必要がある。そこで、光技術は「人」を見る技術として、注目されている、と言ってよい。そして、こういった「人」にまつわる問題が「土木」という分野にはかなり多いことがわかった。「非接触探査技術」には、光以外にも、電磁波、超音波など様々なメソッドがあるが、その中の大きなものはやはり「光」である。そして、土木は人である。土木は人で成り立つ以上、人についての光技術がこれからの重要なエポックになる、と、私は確信している。

ダムの仕事が始まって半年たって、ぼくらの仕事もそろそろ終わりかけたとき、私は事務所に呼ばれて、工事の事務所長にこう言われた。

「この業界の人になりませんか?」

それを聞いたとき、短い間ではあったけれども、とにかく現場で必死になって、気がつけば多くのことを学んでいた自分がそこにいるのがわかった。認めてくれたのだ、と思った。

第四回へつづく