第四章 国際標準化~筆者の歩んだ道(そのI)

4.1 無線通信と有線通信は車の両輪の技術

筆者の元NTT研究所の友人(工学博士)から、「通常は、大学や大学院での研究テーマは、就職したら別のテーマに変わっていくが、波平さんは、東北大学(東北大)大学院での光ファイバ通信の研究をこれまで継続できているのは奇跡的だね」と言われたことを思い出すことがある。後に彼も東北大卒であることが分かったが、彼はNTT研究所に就職し、退職後東北工業大学(東北工大)の教授になられた方で、後述するが光ファイバに水素分子(H2)が侵入することで光ファイバの損失が急増する同じ研究テーマの分野で筆者と一時競争していたライバルの一人でもあった。彼は、その後ITU-T SG15国際標準化会議でも日本代表としてジュネーブで一緒に国際標準化会議に参加していた時期もあり、その後、光ファイバ通信業界が不況になった頃、半導体関連の光デバイスの研究開発の研究テーマへ変更されており、彼がNTT研究所を辞められる頃に筆者に上記のことを話してくれた。彼が言われたように筆者は、「有線」と「無線」の違いはあるが、光通信分野でこれまで歩んで来た道を振り返ると、実に神様に導かれたのかなと不思議に思うことがある。

1979年3月に、東北大大学院工学研究科より工学博士の学位取得後、同年4月に国際電信電話株式会社{KDD(KDDI)}研究所に入社した。博士学位論文が「有線通信」の光ファイバの研究だったので当然「有線システム研究室」へ配属されるものと思っていたが、意に反して辞令では「無線通信」の「無線システム研究室」だった。「有」と「無」では大きな違いがあるので最初はタイプミスかなと思ったが事実だったので大変ショックを受けた。しかし、筆者は「プラス思考」で考え直し、1年間「無線通信」の”マイクロ波回路、進行波管及び衛星間レーザ・サテライト・リンク”に関する調査・研究を行い、その翌年(1980年)から、「有線システム研究室」へ配属され、1年後に「光通信システム研究室」へ研究室名が変わり、約22年間当初希望していた“光ファイバ海底ケーブル”の研究・開発に専念することができ、国内外に多くの貢献を行うことができた。

この1年間に「無線通信」の調査・研究したことは、筆者がKDD研究所から琉球大学(琉大)工学部教授へ転職後思いがけない形で役に立つことになったので苦労したことは無駄にならないことを実感することができ感謝だった。琉大では、主に「有線通信」のフォトニック結晶ファイバの研究をしていたが、2013年に、名古屋大学の天野浩教授達が発明した青色LEDを用いた「光無線通信」の可視光通信を沖縄のベンチャー企業と共同研究を行った。後述するが、天野浩先生は、NPO法人日本フォトニクス協議会(JPC)の理事で、産業用LED応用研究会の委員長になられ、筆者(JPC理事)は、名目的な副委員長を務めていた関係で、2014年ノーベル物理学賞受賞記念講演会を沖縄で2015年2月に筆者が委員長をしていた「琉大ドリームチーム」主催としての呼び掛けでJPC理事の上野直樹氏{(株)オプトロニクス会長}も共催して下さり特別講演をして頂いたことがあり、これも振り返って見ると不思議な神様のお導きを感じる出来事であった。その後、2015年に、筆者が琉大島嶼防災研究センター長を兼務することになり、「無線通信」の災害に強いホワイトスペース(現在使用していないテレビの放送用周波数帯)を利用した通信ネットワークの構築に関連する調査・研究を始めたこともあった。

光ファイバによる「有線通信」も携帯電話などの「無線通信」も、同様に電磁波としてマックスウェルの方程式を用いるので、「有線通信」か「無線通信」かの違いはあるが、例えるなら車の両輪の技術である。 筆者は、「無線通信」と「有線通信」のはざまで常に希望する研究ができた訳ではなかったが、人生で最も大切なことは『与えられた環境の中で、自らの目標を達成するまで根気強く集中して努力し続けることである』と考えている。筆者は、大学受験(1968年)と大学院受験(1973年)で2度も入学受験に失敗しており、秀才ではなく努力型である。この2年間の浪人時代で宮本武蔵のように、遊ぶことを一切捨てて、真剣勝負で勉強のみに集中したこの浪人時代の体験は、その後の筆者の大きな財産となっている。

4.2 東北大学の恩師の虫明康人先生との出会い

筆者は、図10に示すように沖縄本島から約509km離れ、石垣島からは約117km離れ、台湾までは約111kmしか離れておらず、晴れた日には台湾が見える絶海の孤島と呼ばれた日本最西端の与那国島で1949年に生まれ、中学生まで過ごした。当時、与那国島の電話は短波通信で、石垣島からの電波が弱く、フェージング現象のため悪天候時には、大きな声で話さなければならならなかった。筆者が与那国中学校3年生だった1964年の東京オリンピックの頃、与那国島の有線ラジオ放送社{宇宙放送社:故古見武三社長}に一台しかなかったテレビの八木・宇田アンテナは指向性があるためアンテナを台湾の方向に向け、台湾からの電波の漏れを受信して台湾語によるオリンピック中継の様子を見せてもらったことを今でも鮮明に憶えている。それで「与那国島の人々にテレビを見せたい」という大きな夢を抱き、中学3年の時に「エンジニアになること」を決意し「電波伝搬」に興味を持った。

その後、石垣島にある八重山高校を経て、1969年に琉球政府立琉大理工学部の電気工学科へ入学し、東北大の八木・宇田アンテナや自己補対アンテナ(図11)の入力インピーダンスが一定(約60π≒188Ω)になるという虫明の関係式(Mushiake Relationship)(図12)等で世界的に著名な筆者の恩師の虫明康人教授の著書“アンテナ・電波伝搬”及び、安達三郎教授との共著書“基礎電波工学”(図12)を教科書として講義を受け、「無線通信」のアンテナと電波伝搬について真剣に勉強したのを憶えている。

図13は、1976年に筆者が大学院博士課程1年次の時に、虫明康人先生が1954年頃米国のオハイオ州立大学にResearch Associateとして留学された時にお世話になられた中国人で米国籍のオハイオ州立大学のProf. Dr. Chen To Tai先生が虫明先生を訪ねて来られた時に、筆者は少し英会話できたので虫明研究室の外国人留学生のお世話係をしていため、虫明先生からProf. Dr. Chen To Tai先生を東北大のキャンパスのご案内を頼まれた時に、八木・宇田アンテナの八木秀次先生の胸像がある東北大工学部電気系ビルの前で撮った思い出の記念写真である。図13で、向かって右から、筆者の卒業研究、修士論文及び博士論文の指導教員の工藤正昭助手(工学博士、元仙台高等専門学校助教授)、虫明康人教授(工学博士、東北大名誉教授、元東北工大学長、東北工大名誉教授)、Prof. Dr. Chen To Tai(Ph.D.,オハイオ州立大学名誉教授)、安達三郎教授(工学博士、東北大名誉教授、東北工大名誉教授)及び博士課程1年次の筆者(工学博士、元KDD研究所、琉大名誉教授)である。

Prof. Dr. Chen To Taiは、大変優しい先生で、筆者が、東北大のキャンパスと仙台市内を案内したお礼として、筆者と家内を仙台市内の高級中華料理飯店に招待して下さり先生にご馳走して頂いたたことを時々思い出すことがある。安達三郎先生は、筆者の工学修士及び工学博士学位論文審査会の副査で、東北大初の“2002年ノーベル化学賞”受賞者の島津製作所フェローの田中耕一氏(図14)の恩師にあたる。このことは、安達三郎先生が筆者に送って下さった図15の蛍雪アカデミー・スペシャル<特別寄稿>に記載されている。

図15の左図は、筆者が、東北大の伊藤弘昌教授(工学博士、東北大名誉教授)の中国からの外国人留学生であった博士課程3年次の雛念育(Ms. Nianyu Zou)さんの工学博士学位予備審査会にKDD研究所から外部審査員として、2002年12月に東北大工学部を訪問した時の写真で、丁度田中耕一氏のノーベル化学賞の記念講演会などが東北大で行われていた時期であった。雛念育さんは、東北大で博士(工学)の学位取得後、琉大で筆者の助手をして頂き、筆者と波平研究室の大学院の外国人留学生たちとの共同研究による研究業績により、中国の大連工業大学(大連工大)へ教授として送りだすことができた。その時、波平研究室から光測定器やレーザ光源など寄贈し、大連工大に新しい光通信部門の講座を新設することに貢献したため、大連工大の雛念育教授がセンター長しているフォトニクス研究所内に波平研究室の分室が設置され、琉大工学部と大連工大との学部間国際交流協定が締結され、雛研究室から数名の大学院留学生を琉大の波平研究室で受け入れ修士論文の研究の指導をした功績により、2008年9月に、大連工大学長より、筆者は「無期限客員教授」の辞令交付と感謝状を頂くことができた。

雛念育教授は、東北大や琉大では、「有線通信」分野のファイバレーザ関連の研究テーマであったが、大連工大では、「光無線通信」分野の可視光通信のテーマへ研究方針を変更された。図14の左側の写真は、虫明研究室の同窓会の幹事代表を安達三郎先生が務めた時の虫明康人先生の還暦の祝賀会の写真である。その時、虫明先生が最後にお礼のお言葉として『これまで皆さんに「能ある鷹は爪を隠す」という日本のことわざを大切にするように話してきたが、私が自分の研究のオリジナリティを強く主張せず遠慮している間に、学会やアンテナ業界で、自己補対アンテナ(図11)の理論と虫明の関係式(Mushiake Relationship)(図12)を誤解して伝えられたので、これからは皆さんも自分の主張を学会や論文等で強く前面に出して下さい』と話して下さったのが強く印象深く残っている。図14に示すように、安達三郎先生は、虫明康人先生より約10歳若く、虫明研究室の助教授を務めた時期もあるので、筆者と田中耕一氏は、兄弟研究室の間柄になる。

4.3 虫明康人先生の「自己補対アンテナと虫明の関係式」

筆者の恩師の虫明康人東北大名誉教授(元東北工業大学長)は、昨年2020年10月6日に享年99歳でご逝去されたとの訃報があった。今後もご指導して頂だけるものと考えていたので悲しみに耐えなかったが、先生のお人柄とご業績を偲び、謹んで感謝と哀悼の意を表する。あと4か月で100歳だったことと、生涯「無線通信」のアンテナと電波伝搬の分野で、歴史的偉業としてIEEEマイルストーンに認定された世界的な研究業績も達成されており[1,2,3]、後述するが「自己補対アンテナ(SCA:Self-Complementary Antennas)の理論」[1,2,3]がアンテナ関連学会の研究者や専門家たちの中で誤解されていたにも関わらず、先生ご自身でその誤解も解かれたので、筆者は『虫明先生は大往生』されたのではないかと思っている。筆者が琉大工学部の教授を定年退職する前年の2015年3/14~18に、仙台市で第3回国連防災世界会議が開催された。筆者は琉大島嶼防災研究センター長として、その会議に出席する機会があり、会議期間中の2015年3月16日に、虫明先生の仙台市のご自宅を訪問した時に先生と撮ったのが先生との最後の思い出の写真(図16)となった。毎年、沖縄県の石垣島産のパインを先生に食して頂き喜んで頂いていたが、昨年2020年8月に石垣島のパインを贈った時に、虫明先生が「いつも美味しいパインをありがとう。最近耳が遠くなってきたのであとはメールに書いてください」と言われたのが先生との最後の会話となった。

2020年の米国大統領選挙でビッグ・テックのGAFAM(Google,Amazon,Facebook,Apple,Microsoft)の Facebook等は、香港が中共から言論弾圧されているように、検閲を厳しくしているため、最近Facebookをあまり使用しなくなったが、以前筆者が虫明先生や自分関連の記事をFacebookに投稿すると、時々虫明先生から筆者を励まして下さるようなコメントがあり感激したことがあった。90歳を超えられてもメールやご自分のホームページ(HP)を編集されているお姿は、教え子の一人として今後の人生のお手本にしたいと思っている。

虫明先生から一昨年(2019年)の98歳まで毎年頂いていた先生ご自身がパソコンで作成された年賀状には、先生の自己補対アンテナ(図11)が、多くのアンテナ関連の研究者や専門家の中で誤解されていたことなどについてご自分のHPを見てくれるようにということと、90歳近くまで米国電気電子学会(IEEE)等で招待講演され、見事に上述の誤解を解消された事などについて記載されていた。そのような先生の研究者としての強い信念を生涯貫き通されたお姿は、教え子の一人として大変誇りに思うと共に尊敬している。

虫明先生が東北大の大学院生の頃の1948年に発見された「自己補対アンテナ(SCA)」は、図11に示すように、完全導体の1/2で構成された任意形状のアンテナで、その構造の穴に相当する部分の形状が、板の部分の形状と完全に同じ形になるアンテナである。「SCA」は、使用周波数及びその形状に無関係に入力インピーダンスが一定となる。入力インピーダンスとは、ある周波数の電力を送り込む時にアンテナが示す負荷インピーダンス[Ω]のことで、一般的には、周波数に依存して変化する量である。しかし、「SCA」の入力インピーダンスは、周波数によらず一定であるので、超広帯域で使用できるという点では特別な特性である。例えば、別の共振型アンテナ等を使用して広い周波数帯域の電波を送受信する場合には、それぞれの周波数に対応する多数のアンテナを準備する必要があるのであまり実用的ではない[1,3]。

「SCA」の種類は、2端子の平面アンテナの場合だけでなく、端子数、基準面数など複雑さの程度が異なる一般的な種類もある。その他、さらに、構造の形状には無限の自由があり、さまざまな程度の複雑さを有する構造のそれぞれのクラスのソース周波数及び構造の形状に依存しない一定のインピーダンス特性を持っており、このSCAの入力インピーダンス(Z)は、さまざまな情報源から「虫明関係式」と呼ばれている[1,2,3]。

ここで、Z0は、アンテナ媒体の固有インピーダンスである。

このように、「SCA」には、定インピーダンス性があり、広い周波数帯に亘って、給電線との整合が保たれ、超広帯域アンテナとして働くという特徴がある。更に、諸特性の中で特に注目されているのは、周波数に無関係に、実用上全方向性になる場合があることである。また、自己補対の形状の特徴さえあれば、様々な形にすることが可能となることから、このアンテナは、幅広い分野に応用されている。特に、超広帯域で送受信するブロードバンド無線通信の分野では必需品である。携帯電話のような小さな機器から、宇宙通信での電波の受信などの大きなアンテナシステムまで多数の実用例がある。当初、この「SCA」は、その意義が一部の研究者や専門家たちの中で誤解されていた。その中でも、「対数周期アンテナ{ログペリ(LPDA:Log-Periodic Dipole Array)}」との誤解は、虫明先生を長年苦しめたものだった[1]。「LPDA」は、使用可能な周波数帯域が広く、鋭い指向性があり、多数のエレメントを持つアンテナで、インピーダンスと電波の放射の特性は励起周波数の対数関数として繰り返すと理解されていたことである。しかし、虫明先生は、『LPDAの広帯域性は、対数周期形状自身によって生じるのではなく、虫明先生の発明された「SCA」の定インピーダンス性」に基づいて誘導されたものである。』と指摘され、「LPDA」は、「SCA」に変形近似を施した「変形近似自己補対アンテナ」の特殊形であるとこれまで学会等での誤解を訂正された[1,3]。「LPDA」と違い、「SCA」の原理は、さらに多く形状のアンテナの特性を説明できる原理であることが学術論文等で判明されている。このように、「SCA」の原理がブロードバンドの無線テレコミュニケーションの分野での大きなイノベーションとなり、その効果が電気・電子・情報・通信分野における産業の発展へと波及したことによって、多大な貢献をしたとして歴史的偉業として認められている[1]。

皆様の屋根の屋上に設置されているテレビのアンテナは、東北大で発明された「八木・宇田アンテナ」[3,4,5]である。「LPDA」は、この「八木・宇田アンテナ」と似た構造ではあるが、原理は全く異なっており、隣り合うエレメント同士を逆位相に給電するようになっている。これは、交差給電と呼ばれており、「SCA」の折り畳み変形による必然的な結果として得られるもので、隣り合うエレメントの長さと間隔は対数関数的に増加している。しかし、IEEEの「電気・電子用語の標準辞典」によれば、『「LPDA」のインピーダンスと放射特性は、対数周期的に変化を繰り返すアンテナであって、ブロードバンド・アンテナにはなり得ないアンテナである。このような状況にあるので、用語の乱用による混乱は避けるように注意すべきである。』と記載されている。

虫明先生ご提案の「SCA」は、広帯域特性を有し、かつ定インピーダンスであるが、「LPDA」は、周波数の広帯域特性は無く、定インピーダンスでも無く、「SCA」の一種で、「対数周期」を「相補形」に変形すれば、「SCA」になり、広帯域性と定インピーダンス性を有することを虫明先生は指摘されていた[1,3]。これらのことは、虫明先生が寄稿されたWikipedia[自己補対アンテナ(SCA)]を参照されたい。

https://en.wikipedia.org/wiki/Self-complementary_antenna/

4.4 虫明康人先生の研究業績にIEEEから「2017年マイルストーン献呈」

虫明康人先生の長年のIEEEへの働きかけが認められ、筆者の恩師である虫明康人東北大学名誉教授の業績『アンテナにおける自己相補性の原理と虫明の関係式の1948年の発見』は、その認識のための不必要な用語「対数周期形状」に言及することなく、2017年7月27日(木)、『IEEEマイルストーン(http://www.sm.rim.or.jp/~ymushiak/image53.gif)』として認識された。IEEEマイルストーンとして提案されるためには、実績は少なくとも25年前のもので、人類に利益をもたらし、少なくとも地域的に重要である必要がある。「マイルストーン」の意味は、「非常に重要な段階または何かの開発におけるイベント」で、「ランドマーク」はその同義語である。東北大は、1995年6月に、『指向性短波アンテナ<通称:八木・宇田アナテナ>』1924年の研究成果に対するIEEEマイルストーン認定以来の2度目の認定となる[1]。

当初、『八木・宇田アナテナ』は、『八木アナテナ』と呼ばれていた。その理由は、故八木秀次教授(東北大名誉教授)が、1925年12月28日に八木先生の単独名で特許「電波指向方式」として出願し、1926年8月13日に特許を取得されたからである[6]。しかし、虫明康人先生(当時は助手)は、八木秀次特許[6]は、八木秀次教授と宇田新太郎講師連名の帝国学士院記事の論文の内容[7]に基づくものなので、特許の発明者は、「八木・宇田」の連名にするべきで、「旧論文の内容誤認による電気技術史の不当な歪曲を正す」[8]と電気学会で指摘され、最終的には『八木アナテナ』から『八木・宇田アナテナ』へ世界的に名称を大きく変更することができ、恩師の故宇田新太郎先生(東北大名誉教授)の名誉を挽回されるのに多大な貢献をなされたのには敬意を表する。

図17から図19に示すように、仙台市のウエスティンホテルで、「IEEEマイルストーン」の献呈式が挙行されたが、IEEEが開発から25年以上にわたって社会や産業の発展に貢献した歴史的偉業と評価し、献呈されることになったものである。献呈式には、IEEEの W. Ross Stone博士より里見進東北大学総長(図17)へ「IEEEマイルストーン」の銘板(図18)が献呈され、虫明康人名誉教授には銘板のミニチュア(図19)が贈呈された。尚、献呈終了後には、図20と図21に示すように、仙台市にある東北大学青葉山キャンパスの電子情報システム・応物系1号館前に設置されたレプリカの除幕式が行われた。

一方、筆者と安達三郎先生との最後のお別れは、2015年3月16日に、虫明康人先生の仙台市のご自宅を訪問した同じ日に安達三郎先生のご自宅にお伺いするつもりで先生にお電話したが、安達三郎先生は「最近体調が悪く今日もこれから病院へ行くので次に仙台へ来る時に逢いましょう」と言われたのでお会いすることができなかったので少し心残りがあったが、半年後の2015年 9月28日に、享年85歳でご逝去されたとの訃報があったので、2015年3月16日に筆者と安達三郎先生とのお電話での会話が安達先生との最後となり悲しみに耐えないが、安達三郎先生の優しいお人柄が目に浮かび、先生の「無線通信」のアンテナと電波伝搬分野の異方性プラズマ中(後述)での電磁波の電波伝搬や微小ループアンテナなどの数多くの研究業績を偲び、謹んで感謝と哀悼の意を表する。

4.5 波平の関係式がITU-T SG15の 勧告G.650.2で国際標準化

『虫明の関係式(Mushiake Relationship)』が発見された1948年は、筆者が生まれる1年前で、虫明先生との不思議なお導き(縁)を感じている。筆者は、『虫明の関係式』に深く感銘を受け、いつか自分の名前が付く光ファイバの関係式を提案したいと思っていた。後述するが、“光ファイバの非線形定数(n2/Aeff) 測定法”の研究では、光ファイバの実効断面積(Aeff)とモードフィールド径(MFD=2W)の関係が重要となる。これらのことは、図22に示すように、筆者が編集した「DWDM光測定技術」オプトロニクス社に記載されている [9]。ここで、n2は、非線形屈折率である。図23と図24に示すように、光ファイバのAeffは、MFDの半径(w)に円周率(π)を掛けた断面積を表しており、光ファイバのコアの中心部に光パワーが集中する断面積のことを表している。Aeffとwの関係を表す筆者の論文の『波平の関係式(the Namihira Relation) 』は Aeff ≒ kπw2 [9,10,11]である。ここで、kは光ファイバタイプに依存する補正係数を示し、筆者の論文での実験値が使用されている[9,10,11]。

筆者は、1998年よりITU-Tの光ファイバの非線形定数ラウンドロビン(持ち廻り)測定のオーガナイザーを2003年まで務め、非線形特性のITU-Tにおける国際標準化に大きく貢献することができた。波平の関係式は、ITU-T SG15で勧告G.650.2[シングルモード光ファイバ及びケーブルの統計的及び非線形関連特性の定義と試験方法] [11]として国際標準化され、付録IIの非線形特性(Appendix II-Non-linier attributes)の中で、筆者の論文[10]が引用され、現在でも世界的に広く利用されている。

光ファイバの実効断面積(Aeff)は、数千万円もする高価で高精度の光ファイバ測定器を使用しないと測定できないので、通常、光ファイバを購入した場合の光ファイバメーカの諸元には記載されていない。しかし、モードフィールド径(MFD=2W)の数値は、諸元の中に記載されているため、『波平の関係式(the Namihira Relation) 』のAeff≒kπw2 [9,10,11]を使用すれば、容易に光ファイバの実効断面積(Aeff)の値が求められるので光ファイバのシステム設計者からは重宝がられている。

図22に示す筆者が編集した「DWDM光測定技術」オプトロニクス社の本[9]を虫明康人先生に贈呈したところ、『波平の関係式(the Namihira Relation)は良い式だね』と生前に褒めて下さったのは筆者にとって大変光栄であった。尚、虫明康人先生からは、『IEEEマイルストーン』の基になった『アンテナにおける自己補対の原理と虫明の関係式の1948年の発見』に関する図12に示す『電波とアンテナのやさしい話―超ブロードバンドの原理の発見』オーム社[3]と『Self-Complementary Antennas』Springer[2]の2冊の先生の著書を筆者に直接贈呈して下さったので、先生からの貴重な贈り物(遺言)として一生涯大切にし、筆者の教え子たちや後輩たちに虫明先生の研究者や指導者としての生き方などを伝えていきたいと思っている。

参考文献

[1] 東北大学プレスリリース:2017年IEEEマイルストーン東北大学に献呈 虫明康人名誉教授のアンテナ研究を歴史的偉業として認定[https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2017/07/press20170720-01.html]
[2] Y. Mushiake: “Self-Complementary Antennas-Principal of Self-Complementarity for Constant Impedance-“, Springer-Verlag London Ltd., London, 1996.
[3] 虫明康人著:「電波とアンテナのやさしい話―超ブロードバンドの原理の発見」オーム社, 2001年
[4]S.Uda andY.Mushiake: “YAGI-UDA ANTENNAS”[http://www.sm.rim.or.jp/~ymusiake/sub.yubook.html]p.183, Maruzen, Tokyo
[5]Yasuto Mushiake: “Yagi’s patent on the“Yagi-Udaatenna”(http://www.sm.rim.or.jp/~ymushiak/sub.hist.corner,htm###),Notes on the history of the yagi-uda antenna[histricalcorner](https://doi.org/10.1109/MAP.2014.6821794),IEEE Antennas and Propagation Magazine Vol.56, No.1, Feb. 2014,pp.255-257.
[6]八木秀次:特許出願「電波指向方式」1925年12月28日(受理) 1926年8月13日 特許取得
[7]八木秀次、宇田新太郎:“Projector of the shapest beam of electric waves.” 1926年1月9日(受理)帝国学士院記事、2巻、2号、1926年2月掲載.
[8]虫明康人:「旧論文の内容誤認による電気技術史の不当な歪曲を正す」電気学会 電気技術史研究会資料、HEE-96-15,1996年11月15日.
[9] 波平宜敬編:「DWDM光測定技術」、オプトロニクス社、2001年3月.
[10] Y. Namihira : “Relationship between nonlinear effective area and mode field diameter for dispersion shifted fibre”, IEE, Electron. Lett., Vol.30, No.3, pp.262-263, 1994.
[11] ITU-T SG15 Recommendations G.650.2 :”Definitions and test methods for statistical and non-linear related attributes of single-mode fibre and cable”, Geneva, Switzerland, July 2007.

次回へつづく