その13:JDS社躍進の背景

1994年5月、カナダの首都オタワ郊外にあるJDSに着任した。北海道より北に位置するオタワの5月は、わずか数日で、墨絵のような冬景色が一斉に木々の芽が吹き、そして花々が咲きだし眩しい新緑の初夏の景色に変わった。
素晴らしい季節に出迎えられた。まずはJDSの概要に触れる。

I JDSの略歴
 1.1982年 Bell Northern Researchの光部品開発部門の閉鎖に伴い、同部門の4名が2,500カナダ$を出し合い、光受動部品開発製造販売を目的とし、「JDS Optics」を設立
  ※JDSの名前の由来は4名(2名の姓の頭文字が「S」であった)の頭文字からである。
 2.1990年 古河電工から50%を出資受け入れ、社名を「JDS Fitel」に変更
 3.1990年 トロント証券取引所でIPO(:上場)をした。
 4.1999年 Uniphase社と合弁会社設立「JDS-Uniphase、後にJDSU」と社名を変更
  (※2000年ITバブル終焉時期、総資産約15兆円、従業員約2万4000人規模)
 5.2015年 Lumentum HoldingsとViavi Solutionsに分社、今日に至る。

II JDS発展に欠かせない日本企業3社
 1.日本板硝子:JDSが手掛けた製品;光可変減衰器、光スイッチ製造等使われた必須部品「セルホックレンズ」を提供した。(JPC理事の一人、西澤紘一氏グループが大きく関与したと聞く。)
 2.精工技研:同社の開発した「自転公転」機能を持つ光ファイバコネクタ研磨機をJDSが世界に販売し、また、低反射損を実現するAPC研磨方法をJDSと精工技研で世界に先駆けて実用化した。
 3.古河電工:JDSの資本50%を引き受け、同社が急速に事業展開を行う経営を支援した。

III JDSの躍進のポイント:「人材」 「製品」 「経営戦略」
 1.「人材」:JDSは4人で設立した会社であるが、主に会社運営を指導したのはDr. J. Strausと経理、人事関連の総務を統括したMs. Zita Cobbの二人であった。二人は会社発展規模に合わせ、必要とする能力のある人材を、北米を問わず全世界から採用した。
 2.「製品」:1995年他社に先駆け「WDM(Wave Division Multiplexer)」を完成させた。当製品モジュールに光通信システムの各ファアイバー伝送容量を飛躍的に増大させた。 また、「WSS(Wave Selective Switch)」も業界に先駆け実用化し、システムの分配網構築に寄与した。
 3.「経営戦略」:Topに立つJ. Strausと Z. Cobbは絶えず自社の持つ強み、弱みを把握し、技術&資本提携、会社買収、資金調達等の必要な方策を適時実行した。
 4.その他:これは私の私見であるが、古河電工が50%の出資社ではあったが、古河電工が経営に口出ししなかったことも重要な要因と考える。当時の古河電工の経営者の殆どはNTTの光通信事業に注視し、ダイナミックに動く北米、欧州の光通信動向を理解者は少なかった。

着任し、2年も経ない内に、私が想定していた「JDSでの仕事のけじめ」のタイミングが来た。
1996年3月26日、トロント証券取引所に上場することが決まった。

その14:JDSの重要戦略部品WDMの実用化とトロント証券所へのIPOへ