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JPCメールニュース連載
「光の履歴書」
執筆者
小林 孝市
古河電工、精工技研を経て2003年Bright Consulting Inc.を立ち上げ現在に至る。
JPC理事運営委員、理化学研究所客員
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バックナンバー
- その16(最終回):1997年帰国、精工技研への転職、2000年同社上場、2003年退任
- その15:JDS上場後の躍進と古河電工が派遣した会長人材のミスマッチ
- その14:JDSの重要戦略部品WDMの実用化とトロント証券所へのIPO
- その13:JDS社躍進の背景
- その12:光部品事業のFitel製品部の立ち上げとJDSの副社長職での出向決定
- その11:滞米6年後、帰国で味わった逆カルチャーショック
- その10:ヒューストンのOFC会議中に行われたJDS社への資本参加合意会議
- その9:工場を建設し、ビジネスを開始する迄には多くの試練あり
- その8:Georgia州に光ファイバー製造会社設立が決定
- その7:1984年日米貿易戦争のさ中、New York 駐在員事務所に赴任
- その6:1980年以降、各国で実用的ファイバー通信システム導入が始まる
- その5:初期の光ファイバー需要は米軍が検討する武器への応用
- その4:光通信ファイバービジネスの勃興期とJDS創業者との出会い
- その3:最初の海外赴任はNigeriaの1000km同軸幹線敷設工事Project
- その2:大阪支店から本社海外営業本部に転籍した経緯
- その1:光通信とコンピュータのシステムを京都競馬場に導入した時代